ホーム本来のお茶について

近頃「おいしいお茶が少なくなった」と言われることが多くなったような気がします。 ただ、お茶は、本来「嗜好品」であるということを考えると、この言い方は正確ではないと思います。もし、正確に言うならば、「特徴あるお茶が少なくなった、ということではないでしょうか。 その理由は、コスト重視による大量生産された均一な茶を、茶業界が追い求め過ぎたことに要因があります。 品種は「やぶきた」偏重で、ただ飲みやすく、水色を緑色にすることで、さもおいしそうと錯覚させるようなお茶ばかりを製造した結果、お茶の命である香り」が何処かに置き去られてきました。 その結果、「どこにでもある茶」「苦情の来ない茶」「美味くもまずくもない茶」の氾濫をまねきました。 つまりお茶を「嗜好品として味わうのではなく、「ただの飲料としての」お茶を飲むということに方向性が傾きすぎてしまったと思います。      

例えば、お茶の水色についての誤解です。「お茶の水色は緑色」であり、「きれいな緑色の水色のお茶ほど高級品だ」と錯覚しているお客様が、今、あまりにも多すぎるかと思います。無論、この多大なる責任は茶業界にあります。 本来のお茶の水色は、「透きとおった山吹色」です。あるいは「ほのかに緑がかった山吹色」です。このことは、茶業者ならは誰でも知っている常識です。 ところが、現実には水色が「山吹色」のお茶は極めて少ない。あたかも、メロンジュースの如きの色のお茶が溢れています。あまつさえ着色茶まで出る始末です。 お茶の命は「香り」です。渋味、甘味、苦味が三位一体となった*郁たる「香り」です。 しかし、水色が緑色になるほど、お茶本来の「香り」が失われる確率は高くなります。

つまるところ、お茶には、「山のお茶」と「里のお茶」しかありません。平地で育った「里のお茶」とは違い、「山のお茶」は、苛酷な自然条件の中で、逞しく育ち、日較差が大きいゆえに香気成分が醸成されます。先人は言いました。「霧の出るところの作物はおいしい」 日本茶の歴史は「山のお茶」の歴史です。栄西禅師が、明恵上人が、聖一国師が、それぞれ、初めてお茶を植えたのは、佐賀背振山であり、京都栂尾であり、駿河足久保でした。 何れも、山の中です。先達は、お茶が山の作物だということを知っていたのです。  日本茶を支え続けて来たのは、まぎれもなく「山のお茶」の「香り」です。ところが、経済原理を優先させた結果、お茶本来の「香り」を捨てた深蒸し製法の「里のお茶」が、多く流通するようになりました。 もし、丹精に育てた生葉に自信があるならば、何故あれほど蒸して、お茶を細かく粉のようにする必要があるのでしょうか。売りやすさを追求し、見た目の水色にこだわり、お茶本来の「香り」を二の次にしてしまったお茶。そのお茶は、決して「本来のお茶」ではありません。

「本来のお茶」とは、畑で育てた生葉を活かし「最低限必要なことしかしないお茶」です。それが「山のお茶」なのです。   おいしいお茶とは、煎れ方によって、様々な味わいを楽しめるお茶てす。おいしさの限りない可能性を秘めたお茶です。 そして、そのお茶こそ「本来のお茶」です。  ゆえに喜多の園は「山のお茶」にこれからもこだわり続けます。